ゴダール監督『軽蔑』解説あらすじ

ジャンリュック=ゴダール

はじめに

ゴダール監督『軽蔑』解説あらすじを書いていきます。

演出、背景知識

ヌーヴェルバーグ流のリアリズム、文化人類学、叙事演劇

 アンドレ=バザン主催の『カイエ=デュ=シネマ』に参加したゴダールは、バザン流のリアリズムの薫陶を受けました。これはオーソン=ウェルズ(『市民ケーン』)、ロベルト=ロッセリーニ(『イタリア旅行』)に倣いつつ、編集について否定的な立場を取り、カメラをなるべく透明なものにしようとしたものです。一方でゴダールは、バザンの見解に同調しつつ、映像同士のモンタージュの手法も評価しました。ゴダールは、カメラを現実を映す透明な存在というより現実をある形式で発見するツールと見ました。

 またゴダールはソルボンヌ大学時代に文化人類学を学び、ジャン=ルーシュの人類学的映画にも興味を持っていました。こうした知見はテクストの歴史の体系(アートワールド)にアプローチする際の手法として、本作品にも遺憾無く発揮されています。

 加えて、ゴダールはベルトルト=ブレヒトの叙事演劇に影響されました。これは複数芸術である演劇において、具体的な事例を成立するプロセスに関する演出理論です(7リメイクの記事から複数芸術に関する説明が読めます)。これは演劇において戯曲や演出に対して俳優が抱く違和感や態度を、演出に取り入れようとするものと言えます。こうした姿勢はゴダールが古典に向き合うためのアプローチを形成したといえるでしょう。

 本作もそうしたエッセンスが原作の脚色に活かされています。

アルベルト=モラヴィアの原作『軽蔑』

 モラヴィアはイタリアを代表する作家で、ドストエフスキーから顕著な影響を受けました。原作の『軽蔑』とコンセプトとして重なるのは川端『雪国』、漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『』『痴人の愛』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』、リンチ監督『ブルー=ベルベット』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。

 モラヴィア『軽蔑』はおおむね映画化である本作と共通のプロットで、等質物語世界の語り手「わたし」という映画評論家の男と妻の関係を描くものです。妻とわたしの間に映画プロデューサーの男が加わって、妻とプロデューサーとの間で何かがあり、そして妻は「わたし」を「軽蔑する」と言うのです。わたしと妻の関係はギクシャクしたまま、プロデューサーと妻は交通事故で死にます。なので「軽蔑する」と言った意図や二人の関係がどうなっていたのか、読者も解釈するよりありません。

 本作はなので基本的には結構な部分が原作準拠で、主人公が映画脚本家になっているとか、フリッツ=ラングがメインキャラクターで登場するとかいった要素はありつつも、原作の展開を踏まえています。

映画づくりの映画

 本作は創作プロセスそれ自体を創作の対象とする作品で、ここにはブレヒトの叙事演劇の影響が見えます。演劇において戯曲や役割に対して俳優が抱く違和感や態度を、演出に取り入れようとする異化演劇にならい、既存のテクストを自己の伝記的背景と関連づけつつ再解釈しています。

 ジェイムズ=ジョイス『ユリシーズ』のように、この作品のなかにおいて、監督であるゴダールの周辺の人物や出来事はモラヴィア『軽蔑』というテクストの象徴として再現されています。ゴダールはそれによってアートワールドの歴史の中に位置する『軽蔑』というテクストに新たな解釈を与え、アートワールドの構造に変化をもたらそうとします。同様のコンセプトは村上春樹(『風の歌を聴け』)、大江健三郎(『水死』)などの著作にも通底すると思います。

物語世界

あらすじ

 女優カミーユ=ジャヴァル(ブリジット=バルドー)と脚本家のポール=ジャヴァル(ミシェル・ピッコリ)の夫婦の関係は拗れています。

 ポールはアメリカから来た映画プロデューサー、ジェレミー=プロコシュ(ジャック=パランス)と会います。ジェレミーはフリッツ=ラング(本人)が現在撮影中の映画『オデュッセイア』が難解なので、脚本のリライトをポールに頼みます。昼、カミーユが現れ、夫妻はジェレミーに自宅に誘われます。ジェレミーは、カミーユをカプリ島でのロケーション撮影に来ないかと言うものの、それは夫が決める、とカミーユは答えます。

 アパルトマンに帰った後のポールとカミーユはギクシャクします。ジェレミーから再び、カミーユへのロケのオファーの電話があります。電話の後でカミーユは、ポールを軽蔑すると言います。ジェレミーの誘いで映画館に行った後、カミーユはオファーを了解します。

 カプリ島の撮影現場でラング監督とはうまくいかないジェレミーは、カミーユに、別荘へ戻ろうと言います。ポールは、カミーユがジェレミーと別荘に帰ることを承諾します。

 遅れて別荘に着いたポールは、カミーユに、「軽蔑」ということばの意図を尋ねますが、答えはありません。

 翌朝、ポールに手紙が届き、そのカミーユからの手紙には、ジェレミーとローマへ発つと書かれていました。そのころハイウェイで衝突事故が起きました。大型車にぶつかり大破したスポーツカーには、ジェレミーとカミーユの死体がのっています。

参考文献

コリン・マッケイブ著 掘潤之訳『ゴダール伝』(みすず書房,2007)

岩淵達治『ブレヒト』(清水書院.2015)

コメント

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました