デヴィッド=リンチ監督『ブルーベルベット』解説レビュー

デヴィッド=リンチ

はじめに

デヴィッド=リンチ監督『ブルーベルベッド』解説レビューを書いていきます。

演出、背景知識

新古典主義

 本作品の演出家であるデヴィッド=リンチは卓越した新古典主義者です。アートワールドの中の既存のスタイルの歴史にアクセスし、独自の演出を構築しています。本作品においてもドイツ表現主義、怪奇映画作品などに対するオマージュが随所に見えます。

 アート映画の前史としてT=S=エリオット『荒地』、ジョイス『ユリシーズ』などの新古典主義の作品がありますが、そうした古典主義はゴダール(『ゴダールのリア王』)やトリュフォー(『アデルの恋の物語』)に受け継がれ、さらにその後、クローネンバーグ(『クライムズ=オブ=ザ=フューチャー』)、リンチ(『ブルーベルベット』)、黒沢清(『CURE』)、塚本晋也(『鉄男』)などへと継承されました。

ゴーゴリ「鼻」

 本作品においては草むらに耳が落ちているシーンが印象的です。個人的にはゴーゴリ「」の影響を感じさせます。ゴーゴリなどのロマン主義の作家はシュルレアリスムへの影響が顕著で、それが既存の芸術やブルジョワ社会へのアンチテーゼと見做されたのでした。リンチ監督やアート映画に対してはシュルレアリスムの影響が顕著で、本作もそうしたモードを共有します。

 ゴーゴリ「」はパンの中から鼻が出てくるというファンタジックな状況から発展するリアリズムベースのコメディです。人体のパーツのモチーフという点で本作と共通性が見えます。

艶笑喜劇(サド)、シュルレアリスム

 またシュルレアリスムに大きな影響を与えたのがサドでした。アウトサイダーアート、カウンターカルチャーとしてのシュルレアリスムは性的逸脱とモラル、法との衝突を描いたサドに着目したのでした。そうしたモードは川端康成『眠れる美女』、三島由紀夫『サド侯爵夫人』などに現れます。

 本作もサドの影響が顕著で、性的逸脱が人間関係の網の目の中での心理劇に重要な要素になっています。

一人称視点のリアリズムを生かした心理劇

 本作品とコンセプトとして重なるのは漱石『こころ』やロブグリエ『嫉妬』、谷崎潤一郎『』『痴人の愛』、芥川『藪の中』、フォークナー『響きと怒り』と言えます。集合行為における一部のアクターを語りの主体にしたり、または一部のアクターにしか焦点化をしないために、読者も登場人物と同様、作中の事実に不確かな認識しか得られるところがなく、限定的なリソースの中で解釈をはかっていくことしかできません。

 全体的に朦朧とした語りを口の中で、読者は作品内の事実について解釈していきます。また複数のアクターの合理的戦略的コミュニケーションが交錯し展開されていくデザインはドストエフスキー『罪と罰』『悪霊』、エドワード=ヤン監督『エドワード=ヤンの恋愛時代』などを連想します。

物語世界

あらすじ

 父親の入院を期にジェフリー=ボーモントは大学を休学し、故郷の田舎町ランバートンに帰郷します。ある日、父親を見舞った帰りにジェフリーは、野原で切断された人間の片耳を発見します。

 片耳を父親の友人であるジョン=ウィリアムズ刑事の元に届けたジェフリーは、それが縁でウィリアムズ刑事の娘サンディと知り合います。サンディによると、今回の事件には、ドロシー=ヴァレンズなるクラブ歌手が関係しているそうです。

 ジェフリーは事件解決の手がかりを得るため、サンディの協力で、ドロシーが暮らすディープ=リヴァー=アパートの710号室に無断で侵入します。クローゼットに身を潜めたジェフリーがそこで見たのは、ドロシーが謎の人物フランク=ブースと繰り広げる倒錯的な性行為でした。

参考文献

・”Revolution of the MInd:The Life of Andre Breton”

 

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