北野武監督『みんな〜やってるか!』解説あらすじ

北野武

始めに

 北野武監督『みんな〜やってるか!』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、演出

日活ロマンポルノ(神代、若松)流モダニズム、松竹ヌーヴェルバーグ、東映

 北野武監督は俳優としてのキャリアが先ですが(大島渚監督『戦場のメリークリスマス』など)、大島渚などの松竹ヌーヴェルバーグやその先駆となったヌーヴェルバーグ(ゴダール監督『軽蔑』『ゴダールのリア王』)からの影響が顕著です。北野監督はカマトトぶる傾向がありつつ結構映画を観て消化してはいるのですが、とはいえタランティーノ、スピルバーグ(『ジョーズ』『インディ=ジョーンズ』シリーズ[1.2.3.4])、黒沢清(『CURE』)などと比べると映画史の全体性や体系性への理解は欠いています。そのため本作における作家主義的意匠やメタな要素も滑っています。

 とは言え演出力は『ソナチネ』など初期監督作から圧倒的で、神代辰巳監督などの日活ロマンポルノの最良の部分を受け継いでいる印象です。東映の工藤栄一監督を連想させる、ブレッソンやメルヴィルに習ったミニマリズムが特徴です。

ゴダール、タシュリン的ドタバタメタフィクション

 北野武はゴダールの艶笑コメディやメタフィクションからの影響が顕著で、本作にもその特徴が見えます。ゴダールの映画はフランク=タシュリンというコメディ映画の監督が顕著なのですが、タシュリンのコメディ映画はドリフに影響しているくらいですから、そもそも俗っぽい味付けが諄いです。マルクス兄弟をもっと下品にした感じです。

 ゴダールの場合、『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』に見える服飾などのおしゃれセンスがあるため、タシュリンのドタバタ喜劇特有の臭みが中和されているのですが、北野武や押井守の実写映画など、他の人がゴダールの真似をしようとすると途端にタシュリン映画のえぐみを感じて耐え難くなります。本作もそれが顕著です。

 それと北野武は、オールタイムベスト級の映画をつまみ食いしてそこから演出スタイルを設計する要領は山中貞雄並に優れているのですが、ただ黒沢清やスピルバーグのように体系的な映画史的素養があったり、タランティーノのように馬鹿みたいな量を摂取していたりするのでもないため、メタな形式主義的実験は滑りやすいです。『座頭市』にもそれが顕著です。本作もクローネンバーグ監督『ザ=フライ』のパロディがきついです。

艶笑コメディ(ゴダール、フェリーニ)

 本作はジャンル的にはゴダール(『軽蔑』)やフェリーニ(『8 1/2』)の作品に似た、性愛に絡めた心理劇、艶笑コメディになっています。この辺りはシュルレアリスムに影響したサドなどの影響を感じさせます。

物語世界

あらすじ

 モテない青年・朝男はある時AVでカーセックスを見て、モテるために自動車販売店に訪れます。しかし、欠陥車を買わされ、その車で女たちをナンパするが誰からも相手にされません。その後朝男が空を見上げると、飛行機を目にして客室乗務員と親しくなることを思い浮かべます。

 しかし金がない朝男は銀行強盗しようとするも失敗。女にモテるため今度は俳優を目指すことにした朝男は、映画のオーディションに端役で受かり、急遽主役に抜擢されます。しかしミスの連続でクビに。

 後日セスナ機に乗った朝男は同乗した殺し屋を誤って殺してしまい、着陸後出迎えたヤクザたちの勘違いから殺し屋のフリをします。その後朝男は何とか逃げます。その後朝男が銭湯の前で女風呂を覗きたい、とつぶやくと、通りかかった博士から声をかけられます。

 その博士は透明人間の研究をしており、朝男は実験台になり見事透明化します。朝男は研究所から逃れ、銭湯の女湯やAVの撮影現場で裸を見る朝男ですが、特殊なゴーグルをかけて追ってきた博士に捕まり再び研究所に連れ戻されます。元に戻った朝男は博士に再び装置に入れられ、そこに紛れ込んだハエと合体し巨大なハエ男となります。

参考文献

・”Revolution of the MInd:The Life of Andre Breton”

コリン・マッケイブ著 掘潤之訳『ゴダール伝』(みすず書房,2007)

岩淵達治『ブレヒト』(清水書院.2015)

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