始めに
レヴィンソン監督『ナチュラル』解説あらすじを書いていきます。
背景知識、演出
神話的象徴の手法
原作のマラマッドはモダニズム文学の作家から神話的象徴の手法や、エピファニーの発想から影響を受けました。
モダニズム文学はT=S=エリオットの『荒地』などを皮切りに、フォークナー(『響きと怒り』)、ジョイス(『ユリシーズ』)、三島由紀夫(『奔馬』)、大江健三郎(『万延元年のフットボール』『取り替え子』)など、神話的象徴の手法を取り入れるようになりました。これは神話の象徴として特定の対象が描写され、新しい形で神話や特定の対象が発見される機知が喚起する想像力に着目するアプローチです。
例えば『ユリシーズ』では冴えない中年の広告取りレオポルド=ブルームを中心に、ダブリンの1904年6月16日を様々な文体で描きます。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスに由来し、物語全体はホメロスの『オデュッセイア』と対応関係を持っています。テレマコスの象徴となるスティーブン=ディーダラス、オデュッセウスの象徴としてのレオポルド=ブルームのほか、さまざまな象徴が展開されます。
本作も、野球の世界を神話的な象徴によって描いています。
原作との違い
本作の原作は全体的にミルトン『失楽園』的な、破滅の物語になっています。原作ではロイは悪魔の誘惑に敗れ、試合にも三振によって敗北します。また銃撃事件や八百長スキャンダルが明るみになったことで、野球界という楽園からロイは追放されてしまいます。さながらクッツェー『恥辱』のようです。
一方で、本作はむしろ『オデュッセイア』やアーサー王伝説のような英雄譚の神話的象徴の物語になっています(マラマッドはJessie weston”From Ritual to Romance”を読んで『ナチュラル』を書いています。これはフレイザー『金枝篇』の影響下で書かれたもので、アーサー王神話の成立を考察するものです)。英雄であるロイは誘惑や苦難を乗り越え、騎士団の名を持つ球団を勝利へと導きます。
映画版はアラン=ドワン風の剣戟映画的なスタイルによって、ファンタジックで幻想的な神話的象徴の世界を展開しており、圧巻です。
物語世界
あらすじ
農民のエドは妻の死後、幼いロイをずっとコーチしました。ロイは生まれついての野球の天才でした。そんなロイを幼なじみのアイリスは応援します。
父親の死後、ロイは雷で2つに裂けた樫の木を削って手製のバットを作ります。そして稲妻マークを刻み、そのバットをワンダーボーイと名付けます。それから6年、20歳になったロイは、将来を誓い合ったアイリスと別れを、スカウトマンのサムと共に街を出ます。
キャンプに向かう夜行列車で、名物バッターとして知られるウォンボルト、スポーツ記者のマックス、ハリエットの3人に会います。サムはウォンボルトに賭け勝負を挑み、ここでサムはロイのボールを受けそこね、後に心臓発作で急死してしまいます。
シカゴに着いてホテルに入ったロイの許にハリエットから電話がきます。ロイは、言われた通りに部屋に行くと、ハリエットに銃で撃たれます。
16年後のニューヨーク。常に下位で低迷しているニューヨーク=ナイツのベンチにルーキー、ロイ=ハブスが現われます。プロ経験のないロイを、監督のポップ=フィッシャーは冷たく扱ものの、ロイのお陰でニューヨーク=ナイツは勝ち続けます。ナイツのオーナーである判事は、自分のチームが負ける方に賭けていたので慌て、マックス、愛人のメモらを仲間に、ロイのスキャンダルを暴こうとします。ロイはメモの誘惑にのり、スランプ状態に陥ります。
しかしシカゴの巡業の時、アイリスの家に立ち寄ったロイは、使い古しのグローブをみつけます。それは彼女の息子のものでした。それをきっかけにスランプを乗り越えます。しかしロイはそれから、脇腹を抱えて倒れます。かつてハリエットに撃たれた銃弾が発見され、医者は優勝決定戦に出場するのは不可能だと忠告します。ロイは再起不能を覚悟で試合に出ようと思います。ところが判事やマックスは、ハリエットに撃たれた現場写真をロイにつきつけ、試合に負けて欲しいと裏取引を申し出ます。
試合の日、ロイは古傷の痛みに耐え、大ホームランを打ってナイツを優勝へと導きます。ロイとアイリスはその後結ばれ、幸せに暮らします。
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