始めに
大林宣彦監督『異人たちとの夏』解説あらすじを書いていきます。
演出、背景知識
スピルバーグ流の新古典主義、パストラル(ジョルジュ=サンド、福永武彦)
大林監督はスティーブン=スピルバーグ監督(『ジョーズ』)からの影響が顕著で、スピルバーグ監督同様、新古典主義者としての演出を確立しました。クラシックな怪奇映画のスタイルに倣いつつ、独特のセンチメンタルでノスタルジックなムードを演出しています。ただ黒沢清(『CURE』)監督と比べると、内容にはムラがあります。
また大林宣彦はジョルジュ=サンドや福永武彦の作品を好んでいましたが、本作品はサンドや福永作品、三島由紀夫『潮騒』のようなパストラル(田園文学)の現代版を尾道というロケーションにおいて展開したものといえます。
ヌーヴェルバーグより出る80年代の二人のジュヴナイル監督、相米と大林
80年代の邦画はヌーヴェルバーグ(ゴダール『勝手にしやがれ』、トリュフォ『大人は分かってくれない』)ジャンルの影響下から現れた二人のジュヴナイル作家、相米慎二と大林宣彦二人の時代と言えました。ヌーヴェルバーグに影響したロッセリーニ、ヴィスコンティといったイタリアのネオレアリズモを思わせる生々しく荒々しい長回しによるリアリズムで、青春の痛々しさとみずみずしさをインモラルに描いたのが相米慎二作品(『セーラー服と機関銃』)でした。そのリアリズムは成瀬巳喜男(『浮雲』)を連想させます。
一方で、スピルバーグ風の新古典主義を展開し、古典的な表現主義映画や怪奇映画のスタイルをなぞりつつ、そのメランコリックでセンチメンタルなムードの中で、夢幻のような儚い青春を諧謔混じりに描いて見せたのが大林宣彦でした。その人工的で儚いムードは小津安二郎を彷彿とします。
物語世界
あらすじ
壮年の人気シナリオライターで原田は妻子と別れ、マンションに一人暮らし。ある晩、若いケイという女性が、飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきます。しかし彼女を冷たく追い返します。数日後、原田は幼い頃に住んでいた浅草で、12歳のときに交通事故死した両親に出会います。そして少年だった頃のように両親の元へ通い出します。「ランニングになりな」とか「言ってる先からこぼして」などという言葉に甘える。
原田はそこで、ケイという女性とも出会う。チーズ占いで木炭の灰をまぶしたヤギのチーズを選ぶと、「傲慢な性格」だといわれる。不思議な女性だと感じながら彼女と愛し合うようになる。父とキャッチボールをしたり、母手作りのアイスクリームを食べたり、徐々に素直さを取り戻して行く。両親を失ってから一度も泣いたことはなく、強がって生きてきたのだった。
しかし2つの出会いと共に、原田の身体はみるみる衰弱していく。ケイもまたあの日、チーズナイフで自殺していたのだった。「たとえ妖怪、バケモノでもかまわない。あの楽しさ、嬉しさは忘れられない」というが、別れの時が来る。両親と、浅草の今半別館ですき焼きを食べることになるが、「たくさん食べてよ」といっても、ふたりは微笑むだけだった。
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