始めに
ゴダール監督『勝手にしやがれ』解説あらすじを書いていきます。
演出、背景知識
ヌーヴェルバーグ流のリアリズム、文化人類学、異化演劇
アンドレ=バザン主催の『カイエ=デュ=シネマ』に参加したゴダールは、バザン流のリアリズムの薫陶を受けました。これはオーソン=ウェルズ(『市民ケーン』)、ロベルト=ロッセリーニ(『イタリア旅行』)に倣いつつ、編集について否定的な立場を取り、カメラをなるべく透明なものにしようとしたものです。一方でゴダールは、バザンの見解に同調しつつ、映像同士のモンタージュの手法も評価しました。ゴダールは、カメラを現実を映す透明な存在というより現実をある形式で発見するツールと見ました。
またゴダールはソルボンヌ大学時代に文化人類学を学び、ジャン=ルーシュの人類学的映画にも興味を持っていました。こうした知見はテクストの歴史の体系、アートワールドの歴史にアプローチする際の手法として、本作品にも遺憾無く発揮されています。
加えて、ゴダールはベルトルト=ブレヒトの叙事演劇に影響されました。これは複数芸術である演劇において、具体的な事例を成立するプロセスに関する演出理論です(7リメイクの記事から複数芸術に関する説明が読めます)。叙事演劇では、現実の断片などが舞台の上で提示され、観客はその事実を客観的に異化しながら考え、判断します。俳優も、役になりきるのではなく、役を客観的に捉えて、意識的かつ批判的に演じます。これは演劇において戯曲や演出に対して俳優が抱く信念や態度を、演出に取り入れようとするものと言えます。こうした姿勢はゴダールが古典に向き合うためのアプローチを形成したといえるでしょう。
アドリブと即興による異化
本作ではアドリブや即興演出に、異化演劇の影響が見えます。シナリオという形式からの逸脱は、ときに思いがけない効果をもたらしますが、そうでもないときもあるので、ゴダールの演出は安定しません。
アメリカの影
ゴダールはブレヒトの影響が顕著なのですが、ブレヒトにも『都会のジャングルにて』などアメリカを舞台とする作品があります。これは第一次対戦後ドイツに借款などでアメリカ資本が流入し、社会や都市に「アメリカ」文化が浸透、侵食してきた結果によるものでした。同様に『勝手にしやがれ』は第二次対戦後のフランスで、アメリカのギャング俳優に憧れる青年を中心として、ネーションの伝統とアイデンティティが薄れ、伝統と公共性なき「アメリカ」の影が社会を覆う様を描く、ポップアート作品になっています。
こうしたコンセプトは村上龍『限りなく透明に近いブルー』や王家衛監督『恋する惑星』へ継承されます。
シュルレアリスムの影響。ジュヴナイル。青春残酷物語
アート映画のモードの生成には、シュルレアリスムの作家コクトーも手伝っていたり、全体的にシュルレアリスムからの影響は顕著です。コクトー『恐るべき子供たち』もティーンの世界を描いたグランギニョルな青春物語です。また、シュルレアリストのブルトンは既成の芸術やブルジョア社会へのカウンターとして、実際の若い犯罪者に着目するなどし、またモロー(「出現」)の絵画に描かれるファム・ファタル表象に着目しました。シュルレアリスムの影響が顕著な三島由紀夫の『金閣寺』や中上健次(『千年の愉楽』)の永山則夫への着目もこうしたモードの中にいて、グランギニョルな青春物語を展開しました。
同様に、ヌーヴェルバーグのゴダール監督も本作や『気狂いピエロ』のような青春残酷物語を展開しました。
物語世界
あらすじ
ハンフリー=ボガートを崇めるミシェルは、マルセイユで自動車を盗み、警察官を射殺します。パリに着くも文無しで警察からも追われているミシェルは、アメリカ人のガールフレンド、パトリシアと行動を共にします。しかしミシェルが警察に追われる身であることを知ってしまうパトリシアです。
やがてパトリシアが警察に通報。追い詰められ、「最低」という言葉を自殺する前にミシェルが言います。パトリシアはそれを聞き取れず「彼はなんて言ったの」と刑事にたずねると、「あなたは最低だと彼は申していました」と伝えられます。パトリシアは「最低ってなに」と訊き返します。
参考文献
・”Revolution of the MInd:The Life of Andre Breton”
コリン・マッケイブ著 掘潤之訳『ゴダール伝』(みすず書房,2007)
岩淵達治『ブレヒト』(清水書院.2015)



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