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大林宣彦監督『ふたり』解説、ネタバレあらすじ

1990年代解説
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始めに

始めに

今日は大林宣彦監督『ふたり』についてレビューを書いていきます。尾道三部作の一作です。

演出、背景知識

スピルバーグ流の新古典主義、パストラル(ジョルジュ=サンド、福永武彦)

 大林監督はスティーブン=スピルバーグ監督(『ジョーズ』)からの影響が顕著で、スピルバーグ監督同様、新古典主義者としての演出を確立しました。クラシックな怪奇映画のスタイルに倣いつつ、独特のセンチメンタルでノスタルジックなムードを演出しています。ただ黒沢清(『CURE』)監督と比べると、内容にはムラがあります。

 また大林宣彦はジョルジュ=サンドや福永武彦の作品を好んでいましたが、本作品はサンドや福永作品、三島由紀夫『潮騒』のようなパストラル(田園文学)の現代版を尾道というロケーションにおいて展開したものといえます。

ヌーヴェルバーグより出る80年代の二人のジュヴナイル監督、相米と大林

 80年代の邦画はヌーヴェルバーグ(ゴダール監督『勝手にしやがれ』、トリュフォ監督『大人は分かってくれない』)ジャンルの影響下から現れた二人のジュヴナイル作家、相米慎二と大林宣彦二人の時代と言えました。ヌーヴェルバーグに影響したロッセリーニ、ヴィスコンティといったイタリアのネオレアリズモを思わせる生々しく荒々しい長回しによるリアリズムで、青春の痛々しさとみずみずしさをインモラルに描いたのが相米慎二作品(『セーラー服と機関銃』)でした。そのリアリズムは成瀬巳喜男(『浮雲』)を連想させます。

 一方で、スピルバーグ風の新古典主義を展開し、古典的な表現主義映画や怪奇映画のスタイルをなぞりつつ、そのメランコリックでセンチメンタルなムードの中で、夢幻のような儚い青春を諧謔混じりに描いて見せたのが大林宣彦でした。その人工的で儚いムードは小津安二郎を彷彿とします。

草の想い

 「草の想い」は本作のテーマ曲になっています。大林宣彦は福永武彦などのマチネポエティークの作家を好み(福永『廃市』の映画化も手がけています)、また檀一雄など(檀一雄『花筐』の映画化があるほか「草の想い」の歌詞にも「花筐」のモチーフが見えます)日本浪曼派の作家流のシンボリズムを愛しました。

 本作が志向したのは、大林が愛したジョルジュ=サンド『愛の妖精』や福永武彦の諸作品のような、パストラルの日本版でしたが、そんな日本版パストラルを彩る「草の想い」は、久石譲の手がけるピアノ=クラシックはドビュッシーやサティら象徴主義の作曲家を思わせる、センチメンタルで流離な調べで、幻想的なムードを演出します。

物語世界

あらすじ

 北尾実加(石田ひかり)が中学2年の時、高校2年の姉・千津子(中嶋朋子)は、なんでもこなす優等生で教師や同級生からも慕われていて、実加も憧れていました。しかし交通事故に巻き込まれ亡くなります。

 ひとり明るく振る舞うものの、ある日、変質者に襲われかけた実加は、死んだ千津子の幽霊に助けられます。その日以来、実加が難関にぶつかると千津子が現れ、ふたりで難関を突破します。そして千津子に見守られ、日に日に成長していく実加は、第九のコンサート会場で、姉の知り合いだったという青年の智也に出会い、ほのかな想いを抱きます。

 やがて16歳になった実加は、千津子と同じ高校へ進学します。演劇部へ入部し、千津子が生前演じたミュージカルの主役になるものの、実加をやっかむいたずら電話により、治子は倒れて入院します。それと同時に北海道へ単身赴任していた父の雄一の浮気が発覚します。

 崩れかける家族の絆を必死に守ろうとする実加と、それを見守る千津子。そして、実加がそんな事態を乗り越えた時、それは千津子との別れの時でもあった。こうして自立していく実加は、この出来事を本に書き残そうと心に決めるのだった。

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