始めに
ウォシャウスキー姉妹監督『マトリックス』について解説あらすじを書いていきます。シリーズ(1.2.3)の1作目です。
背景知識、演出
カンフー映画、サイバーパンク、武侠映画、香港ノワールの影響
本作はブルース=リーに代表されるカンフー映画というジャンルにあたり、またディック、W=ギブスン(『ニューロマンサー』)、リドスコ監督『ブレード=ランナー』などに代表される「サイバーパンク」ジャンルでもあります。こちらの記事にもありますように、ジャンルの厳密な定義は困難で、あくまでも具体例や道具的に十分な大まかな説明づけを与えられるだけですが、「サイバーパンク」に通底するモチーフには「電脳」「電脳世界」があり、本作も電脳世界を舞台とするカンフー映画になっています。
またワイヤーアクション的な演出など、中国の剣戟映画ジャンルたる武侠映画の影響も窺わせます。加えて、ジョン=ウーやツイ=ハークに代表される香港ノワールの影響も顕著で、ウーに似たガンアクションが印象的です。
VFXによるアクション
本作はカンフー映画要素にしても、「サイバーパンク」要素にしても要素レベルでは新鮮なものは少ないかも知れませんが、ハイブリッドなジャンルとしてのデザインは優れていて、また演出の完成度も圧倒的です。当時はまだ新しい技術だったVFX(CGによる特殊効果のこと)をふんだんに用いつつ、従来のカンフー映画、武侠映画の伝統的なアクションをブラッシュアップする手腕の良さは圧巻です。
例えば『ブレード=ランナー』など、エポックメイキングな映画は演出面が粗いことも多いですが、本作の演出は完成されています。それこそタルコフスキー監督や押井守監督のように、作家主義のエリートといえます。
ガチオカルト映画、カウンターカルチャーの復興の90年代~00年代前半
本作はフィンチャー監督『ファイト=クラブ』が同時期の作品としてあり、あちらが(原作は特に)ニューエイジやカウンターカルチャー、バタイユ、マルクス主義社会学(ボードリヤール)に対してむしろ否定的な見解を示しているのに対して、本作はガチのビリーバー映画です。作品もニューエイジ思想が前面に出たメシアの物語になっています。
コスナー監督『ダンス=ウィズ=ウルブズ』(91)あたりを皮切りにして『ラスト サムライ』(03)あたりまで、ハリウッドではカウンターカルチャー(ニューエイジ思想、東洋スピリチュアル)のリバイバルブームとなりますが、本作も東洋スピリチュアル、ニューエイジ思想の影響が顕著です。
ウォシャウスキー姉妹のニューエイジへの傾倒は『クラウド アトラス』にも伺え、人を選ぶ要素でしょうが、とはいえニューエイジ思想が性的マイノリティたる二人の自己実現にとって有用なのは事実なのかもです。
ウォシャウスキー姉妹の本領とは
とはいえ多くの人にとっては姉妹の映画はスピルバーグ監督『未知との遭遇』のようなビリーバー映画で電波染みていて苦手意識を生むかもです。
なので二人の演出力が一番生きるのは『スピード=レーサー』のような、ささやかなエンタメ活劇と思っています。
物語世界
あらすじ
トーマス=アンダーソンは、大手ソフトウェア会社のメタ=コーテックスに勤めるプログラマーです。トーマスには天才ハッカー「ネオ」という、もう1つの顔がありました。
ある日、トーマスはパソコンの画面に「起きろ」「マトリックスが見ている」「白ウサギについて行け」という謎のメッセージを受け取ります。ほどなくしてトリニティと名乗る謎の女性と出会ったトーマスは、その仲間のモーフィアスを紹介されこの世界は、コンピュータによって作られた仮想現実だと告げられ、このまま仮想現実で生きるか、現実の世界で目覚めるかの選択を迫られます。日常の違和感に悩まされていたトーマスは目覚めることを選択。赤いカプセルを飲むと、トーマスは自分が培養槽のようなカプセルの中に閉じ込められていると気が付きます。トリニティたちの言ったことは真実で、現実の世界はコンピュータの反乱によって、人間の大部分はコンピュータの動力源として培養されていました。覚醒したトーマスは不良品として廃棄されるものの、トリニティとモーフィアスに救われます
トーマスは、モーフィアスが船長を務める工作船「ネブカドネザル号」の仲間として迎えられ、ハッカーとして使っていた名前「ネオ」を名乗ります。モーフィアスはネオこそがコンピュータの支配を打ち破る救世主(The One)だと信じており戦闘技術を習得させます。
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