始めに
黒澤明監督『羅生門』解説あらすじを書いていきます。芥川龍之介『藪の中』を原作としています。
演出、背景知識
黒澤の作家主義
本作品はタイトルこそ『羅生門』ですが、原作は『藪の中』となっており、そこにモチーフ、テーマとして芥川『羅生門』から要素を引っ張ってきた感じです。真相も藪の中ではないし、芥川『羅生門』を原案とする外枠パートが作品のテーマを体現するので、タイトルは羅生門の方になった感じでしょうか。
本作は黒澤明と橋本忍の共同脚本ですが、とにかく黒澤は脚色の要領の良さなど、映画の基礎的なスキルが高いです。もともと黒澤は助監督で、そのころから脚本がうまいというので重宝され、監督としてもつかわれるようになって経験とキャリアを蓄積していきましたが、割と最初から脚本の要領がいいです。
タルコフスキー『惑星ソラリス』に関する記事でタルコフスキーの脚色スキルについて言及しましたが、それと重なります。基礎的な才覚に裏付けられた、作家主義的監督独自の意匠の味付けが絶妙です。
脚色の特徴
芥川『藪の中』は非線形の語り、リドルストーリー要素など、映像化のハードルが高いですが、本作は原作に一つの解釈を与えつつ、芥川『羅生門』などに見える、芥川の仏教、キリスト教的道徳、規範概念を絡めてまとめたのは卓越した手腕が光ります。
さらに大きな特徴として、本作を枠物語として展開した脚色があり、外枠で羅生門で3人の男たちが雨宿りしており、そのうちの2人、杣売りと旅法師はある事件の参考人となった検非違使からの帰途で、もう1人の下人に原作『藪の中』でも展開される事件を語ります。つまり外枠が芥川『羅生門』を原案としていて、その内部で『藪の中』の物語が展開されます。外枠の芥川『羅生門』を原案とする部分は、芥川『羅生門』と舞台設定や一部プロットが共通するものの、テーマもプロットも別の作品です。
原作の『藪の中』は信頼できない語り手により、それぞれの語り手のエゴを描く内容ですが、本作はそれに芥川『羅生門』を原案とした外枠を、内枠の相互不信の物語のアンチテーゼとして、愛とヒューマニズムの物語として展開しています。
黒澤脚色の弱点
ただ、一方で思うのが、本作品は黒澤という映画作家の弱点をも露呈している印象です。黒澤明が映画化を手がけた作品で、かつ本作と原作のコンセプトが似ている作品に村田喜代子「鍋の中」(『八月の狂詩曲』)があります。
「鍋の中」は高校生の「私」が語り手となり、それと「私」の弟と二人の従兄弟の四人で、夏休み中を祖母の家で数日過ごします。祖母は記憶がおぼつかないのですが、その祖母の口から、実は「私」の母親は祖母の妹の娘である「麦子」であり、亡くなっていると語られます。祖母の記憶は鍋の中のもののように蕩けていて当てにはならないけれど、母親が別にいるという疑念は「私」のなかに残り、真相は藪の中、という内容です。
個人的に思っているのですが、『藪の中』にしても『鍋の中』にしても、こういうリドルストーリーになっていて真相がわからない、というデザインを黒澤はすごく嫌っていると思っています。なので『羅生門』もこのような明確なアンサーを与える内容になっているし、『八月の狂詩曲』も祖母と甥のクラークの再会のドラマに原爆ネタを絡めた内容になっていて、原作の一人称的視点の不確かさ、記憶の不確かさを巧妙に活かしたリドルストーリー要素は廃されています。
このあたりは三島由紀夫と近いと思っていて、三島由紀夫は川端の『みづうみ』を嫌っていたのですが、二人とも物語世界内の事実、事実的因果、心理的合理性、テーマ、そうしたものが明確に体系的に設定されていないと嫌な性分だろうと感じています。これは双方にとってプラスにもマイナスにもなり、『羅生門』ではプラスになっていると評価できますが、『八月の狂詩曲』をそう評価する人は少ないでしょう。
物語世界
あらすじ
平安時代の京の都。羅生門で3人の男たちが雨宿りしています。そのうちの2人、杣売りと旅法師はある事件の参考人となった検非違使からの帰途でした。もう1人の下人にそのことを語り始めます。
3日前、薪を取りに山に分け入った杣売りは、武士・金沢武弘の死体を発見し、検非違使に届けます。そして今日、取り調べの場に出廷した杣売りは、遺体のそばに市女笠、侍烏帽子、縄、守袋が落ちており、金沢の太刀、女性用の短刀は見当たらなかったと証言します。また、道中で金沢と会った旅法師も出廷、金沢は妻の真砂と一緒にいたと証言します。
まず、金沢を殺した下手人として盗賊の多襄丸が連行されます。多襄丸は、山で侍夫婦を見かけた際に真砂を見て欲情し、金沢を騙して捕縛した上で、真砂を手篭めにしたと語ります。その後、真砂が両者の決闘を要求し、勝った方の妻になると申し出て、多襄丸は金沢と戦い、激闘の末に金沢を倒したといいます。ところが、その間に真砂は逃げ、短刀の行方も知らないといいます。
次に真砂の証言が始まります。手篭めにされた後、多襄丸は金沢を殺さずに逃げたそうです。真砂は夫を助けようとするものの、眼前で男に身体を許した妻を金沢は軽蔑の眼差しで見据え、耐えられなくなった真砂は自らを殺すように頼みました。そのまま気絶して目が覚めると、夫には短刀が刺さって死んでいて、後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言します。
最後に巫女が呼ばれ、金沢の霊を呼んで証言を得ます。金沢の霊曰く、真砂は多襄丸に辱められた後、彼に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように求めたそうです。しかし、その浅ましい態度に多襄丸も呆れ、女を生かすか殺すか夫のお前が決めろと金沢に言いました。それに真砂は逃亡し、多襄丸もいなくなり、一人残された自分は無念から、妻の短刀で自害したそうです。そして自分が死んだ後に何者かが短刀を引き抜いたものの、それは誰かわからないといいます。
三人の言い分を話し終えた杣売りは、下人に三人とも嘘をついていると言います。杣売りは実は事件を目撃していたが巻き込まれたくないから黙っていたそうです。杣売りによれば、多襄丸は強姦し、真砂に惚れてしまい夫婦となることを懇願したものの、彼女は断り金沢の縄を解いたのでした。ところが金沢は辱めを受けた彼女に、武士の妻として自害するように迫りました。すると真砂は笑いだして男たちの勝手な言い分を誹り、金沢と多襄丸を殺し合わせます。2人はへっぴり腰で無様に斬り合い、多襄丸が金沢を殺すものの、事の成り行きに真砂は動揺し逃げました。動転している多襄丸は真砂を追えませんでした。
3人の告白はそれぞれの見栄のための虚偽で、真実を知った旅法師は世を儚みます。すると、そこに羅生門の一角から赤子の泣き声がします。3人が確認すると、着物にくるまれた捨て子がいます。下人はその着物を剥ぎ取って赤ん坊は放置します。杣売りは咎めるものの、下人はこの世の中で手前勝手でない人間は生きていけないと話し、さらに現場から無くなっていた真砂の短刀を盗んだのが杣売りだったと指摘し、お前に非難する資格はないと罵って去ります。
旅法師は事の成り行きに絶望します。おもむろに杣売りが赤子に手を伸ばし、旅法師は彼が赤子の肌着も奪うのではと疑い、その手を払いのけます。しかし、杣売りは自分の子として育てると言い、赤子を大事に抱えて去ります。
旅法師は己を恥じ、人間の良心に希望を見出すのでした。
参考文献
・石原慎太郎『三島由紀夫の日蝕』



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