始めに
ゴダール監督『アルファヴィル』解説あらすじを書いていきます。
演出、背景知識
ヌーヴェルバーグ流のリアリズム、文化人類学、異化演劇
アンドレ=バザン主催の『カイエ=デュ=シネマ』に参加したゴダールは、バザン流のリアリズムの薫陶を受けました。これはオーソン=ウェルズ(『市民ケーン』)、ロベルト=ロッセリーニ(『イタリア旅行』)に倣いつつ、編集について否定的な立場を取り、カメラをなるべく透明なものにしようとしたものです。一方でゴダールは、バザンの見解に同調しつつ、映像同士のモンタージュの手法も評価しました。ゴダールは、カメラを現実を映す透明な存在というより現実をある形式で発見するツールと見ました。
またゴダールはソルボンヌ大学時代に文化人類学を学び、ジャン=ルーシュの人類学的映画にも興味を持っていました。こうした知見はテクストの歴史の体系、アートワールドの歴史にアプローチする際の手法として、本作品にも遺憾無く発揮されています。
加えて、ゴダールはベルトルト=ブレヒトの叙事演劇に影響されました。これは複数芸術である演劇において、具体的な事例を成立するプロセスに関する演出理論です(7リメイクの記事から複数芸術に関する説明が読めます)。叙事演劇では、現実の断片などが舞台の上で提示され、観客はその事実を客観的に異化しながら考え、判断します。俳優も、役になりきるのではなく、役を客観的に捉えて、意識的かつ批判的に演じます。これは演劇において戯曲や演出に対して俳優が抱く信念や態度を、演出に取り入れようとするものと言えます。こうした姿勢はゴダールが古典に向き合うためのアプローチを形成したといえるでしょう。
本作もオーウェル『1984』や、ラング監督『メトロポリス』といった古典をベースに、独自の意匠を凝らしたテクノワールとして展開されていきます。
シュルレアリスムの影響
アート映画のモードの生成には、シュルレアリスムの作家コクトーも手伝っていたり、全体的にシュルレアリスムからの影響は顕著です。コクトー『恐るべき子供たち』もティーンの世界を描いたグランギニョルな青春物語です。また、シュルレアリストのブルトンは既成の芸術やブルジョア社会へのカウンターとして、実際の若い犯罪者に着目するなどし、またモロー(「出現」)の絵画に描かれるファム・ファタル表象に着目しました。
本作も全体主義的な社会の中で、外部から来たアウトサイダーのレミーと、ヒロインのナターシャの物語を展開します。
全体主義SF
本作はオーウェル『1984』の影響が顕著です。
『1984』は、全体主義社会を描いたディストピアSFで、リベラリストのオーウェルが拡大しつつあるソ連の影響力に懸念を抱き、そのファシズム的な社会を風刺する意図で物語を展開しました。
『アルファヴィル』も一九八四年のある晩を舞台としていて、星雲都市アルファヴィルにおける全体主義的なディストピアを描きます。
物語世界
あらすじ
一九八四年のある晩、左利きの探偵レミー=コーションは、地球から九〇〇〇キロはなれた星雲都市アルファヴィルに到着します。任務はブラウン教授を救い出すか、殺すことと、先に派遣されて消息を絶ったアンリの行方を探索することでした。
ホテルにつくと、レミーは誘惑婦の誘いをうけます。この都市には新聞も雑誌もなく、人々はアルファー60という電子指令機の命令のままに動いています。
やがて、彼の前に教授の娘ナターシャが接待係として現われます。彼女はしきりに外界の話に興味を示します。
その後、レミーはアンリを探しあてるものの、アルファー60の拷問によって廃人になっていましあ。彼が息を引きとるとき、アルファビルは思考構造が符号化された人間の住む世界で、アルファー60の目標は完全なる技術社会だとレミーに告げます。
ナターシャに案内されたレミーは、ブラウン教授が祭司を務める公開死刑を目にします。これは、感情を抱いた人間たちを殺すショーでした。レミーはそこで教授にインタビューをしようとするものの、逮捕されアルファー60の尋問をうけます。
アルファビルはブラウン教授一派の力で発展したものの、彼等も機械の奴隷でした。釈放されたレミーはホテルに戻り、ナターシャにエリュアールの、「苦悩の首都」を読んで聞かます「愛」「悲しみ」「やさしさ」という言葉の意味をレミーから聞いたナターシャは、過去に自分が父親と誘拐されて来たことを思い出します。
そして、正体を見破られたレミーが拷問されるのを見て、涙を流した彼女は、反逆罪で告発されます。そこでレミーは教授を射殺、アルファー60を破壊し、自爆寸前のアルファビルを、ナターシャと脱出します。
地球に向う車の中で、ナターシャは初めてレミーに「愛する」という言葉をかけます。



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