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スピルバーグ監督『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』解説あらすじ

1980年代解説
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はじめに

スピルバーグ監督『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』解説あらすじを書いていきます。

背景知識、演出

ヌーヴェルバーグ(トリュフォー)風の新古典主義、フォルマリズム

 スピルバーグ監督は『未知との遭遇』のキャストにトリュフォーを招くなど、ヌーヴェルバーグ風の新古典主義が特徴です。

 アート映画の潮流のルーツにモダニズム文学があり、例えばT.S.エリオット『荒地』、フォークナー『響きと怒り』のような古典主義的作品があります。そうした作品では神話的題材の象徴的手法によって古典や歴史にアプローチしていきますが、まずそうした古典主義の要諦は、反俗的な精神にあります。伝統や公共性を持たないブルジョワジーへのアンチテーゼとしてモダニズムにおける新古典主義はあります。

 同様にスピルバーグの先達たるトリュフォー作品も、反俗的主題を保ちつつモダニズムから古典主義へと変遷をたどります。スピルバーグも本作においてアラン=ドワンやそのほかの連続活劇、剣戟映画のスタイルに学んで独自の古典主義的演出を組み立てています。

SW4的新古典主義と反帝国主義

 『インディ=ジョーンズ』シリーズ(1.2.3.4)の先駆としてスピルバーグも手伝っているSW4があります。SWシリーズはシリーズが5.6と進むにつれて当初のシリアル、剣戟映画のスタイルのパロディによる反帝国主義、反ベトナム戦争映画としてのコンセプトを喪失していきました。シリアルや剣戟映画の独特の空虚なムードによって帝国主義の空虚さを描いたSW4は変節し、やがてニューエイジ、精神分析、神話的象徴の手法でケバケバしく彩られたベタなモダニズムSFとなっていき、シリアルの演出を失ってしまいました。

 一方でその兄弟たる『インディ=ジョーンズ』シリーズ(1.2.3.4)は当初のシリアル、剣戟映画のスタイルのパロディとしての新古典主義を維持し続けました。一方で反帝国主義的ニュアンスはやや抑え目にはなっています。

シリーズにおける位置

 本作は全体的におどろおどろしいムードで、ややホラー風味の内容です。

 シリーズはもともと三部作の構想だったようで、本作はシリーズのうちでは特にストーリーが前に進む訳ではなくて、無心で活劇を楽しめるデザインです。

物語世界

あらすじ

 1935年、考古学者インディ(ハリソン・フォード)は上海の満洲系ギャングとの取引でトラブルになります。その場に居合わせた歌手ウィリー(ケイト・キャプショー)、相棒の少年ショート・ラウンド(キー・ホイ・クァン)と飛行機で逃れるものの、その飛行機はギャング関連会社が所有するものでした。飛行士たちはパラシュート脱出し、飛行機はインディたちを残して墜落、ゴムボートで脱出した彼らはインドへ到着します。

 たどりついた村にはシヴァ・リンガという秘石が祭られていたものの、邪教集団に奪われ、村の子供も連れ去られたそうです。老人から「救世主」だと言われたインディたちは、サンカラ=ストーン(シヴァ=リンガ)と子供たちを取り戻すため、邪教集団の根拠地でマハラジャが支配しているパンコット宮殿へと向かいます。

 パンコット宮殿にはマハラジャであるザリム=シンが即位しており、インディたちは歓待されものの、インディが隠し通路を見つけ、地下に潜入すると、そこでは邪教の密儀が行われていたました。邪神カーリーを祭祀する司祭モラ=ラムは、人間の心臓を抉り出したり、悪魔の血を使って人々を洗脳し、邪神像に生贄を捧げていました。モラ=ラムは、村の子供を奴隷と、地下に隠された残り2つの『サンカラストーン』と資金源の宝石をさがしていました。

 

 

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